2005年 07月 07日
紫陽花 |
花、というものに、実のところあまり興味がない。
切り花はすぐにしおれてしまうからつまらないし、植木はすぐに “ 枯らして ” しまう・・・
花に関わることを 「 才能 」 とするならば、私にはそれが皆無であるらしい。
だけど、桜と紫陽花は別だ。
こんなに心惹かれるものはない。
どうしようもなく 花音痴 な私にさえも、季節を感じさせてくれる。
いつ咲くか、まだ咲かぬかと、散々ヤキモキさせられたかと思うと、
一気に咲いて一気に散る・・・それを 桜の醍醐味 とするならば、
紫陽花の醍醐味は “ 経過 ” を楽しめることだろう。
一雨ごとにうっすらと色づく様に、うっとりわくわくどきどきする。
そういえば紫陽花の花言葉は 「 移り気 」 だったか・・・
そしてまた、私の誕生花でもある。
皮肉にも (?)
季節を知らせる花でありながら、なぜか紫陽花は息が長い。
秋やら冬やらに咲いているのを見かけて ぎょっ!? とすることもしばしば。
実際、わたしの記憶の中にある 紫陽花の思い出 も時期はずれなものだ。
あれは、夏のおわり。
子どもの頃、友達の家で遊んだ帰り、彼女のお母さんが庭の紫陽花を一枝切ってくれた。
「 土に挿しておいたら根付くかも 」
そう言われて持ち帰ったものの、我が家はマンション住まい。
それでも一縷の望みを託し、いちばん大きな植木鉢に枝を挿した。
数日後、植木鉢の置いてあるベランダに、一匹の蝉が墜ちてきた。
夏のおわり、地上に墜ちた蝉の多くは二度と飛び立つことがない。
我が家のベランダに墜ちた蝉も例外ではなく、仰向けになったまま時折もがくばかり。
それを見て、子ども心に 「 ああ、これはもうダメだ・・・」 と感じた私は、
とにかく “ 木 ” に留まらせてやろう! と思ったのだ、なぜか。
そのとき “ 木 ” の役割をしてくれたのが、土に挿したばかりの紫陽花だったのだ。
ぐったりと横たわる(?)蝉を拾い上げ ( そういえばあの頃は虫に触れたのだなあ・・・ )
まあ、地面に転がってるよりはマシでしょうよ? などと語りかけながら、
紫陽花の枝に体を近付けると・・・しがみついたのだ、しっかりと。
そしてそのままじっとしていた、三日間くらい。
ある朝、蝉は紫陽花の根元に ぽとっ と落ちていた。
私はそのまま、紫陽花の根元に蝉を埋めた。
某小説では、桜の根元に死体が埋まっているらしいが、
私のイメージでは桜より紫陽花、そして死体は蝉の亡骸なのである。
by cheshire335
| 2005-07-07 11:28
| 蟹の呟き