2005年 07月 11日 ( 1 )

或る町で。



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そこは、とても感じの良い町だ。

木造の趣ある家が建ち並ぶ細い路地、穏やかに時を経た板塀、今も現役の井戸。
あちらこちらにのんびりと猫が寛ぎ、近付いても逃げる気配がない。


私が呼ばれたお宅も、大きな平屋の日本家屋だった。
古びた蔵や、ひなびた庭のある家。

私はこうした、人の暮らしの中で自然と時を重ねた住まいを愛している。
浮き出た錆や、染みついたにおいや色を愛している。
決して自分のものにならないと、わかっているから余計に愛す。

ゆっくりと家の周りを見て歩きながら、私は心躍らせている。
ポケットに忍ばせた、小さなカメラに指先を触れてみる。

仕事が終わったら、あの窓を撮ろう。 
硝子に施された細工がとてもすてき。

朽ちかけたような蔵の土壁もいい感じだ。
あとでお願いして、少しだけ中を覗かせてもらえないだろうか。


あれこれ思いを巡らせるうちに、仕事の時間となった。
わざわざ何時間も電車を乗り継いで来たというのに、
私の 「 仕事 」 はといえば、そのお宅の下足番なのだ。

巨大な玄関に、旅館のような靴箱がずらりと並べられている。
それなのに、靴箱に収まりきらない靴が溢れている。

それらを迅速に適切に片づけようとしている先から、どんどん人が出入りする。
中へ入る人々は、ぽおんと乱暴に靴を脱ぎ捨ててゆくし
外へ出て行く人は、早く自分の靴を出せと焦れている。

私は床から顔を上げる暇もなく、ただ黙々と
靴を片づけては出し片づけては出し、を繰り返しているのだ。

しかし、どうやらあまり苦にはならないらしい。
事務的に手だけを動かしながら、私の頭の中は蔵や錆や土壁や井戸や猫や
窓硝子や板塀のことでいっぱいになっているからだ。

ポケットに入れたままの、小さなカメラの重みを感じるたびに
ニンマリと笑みさえ浮かべてしまう。


果てがないかのように思えるこの作業にも、必ず 「 終わり 」 はやってくる。
時給800円、午後3時までの一日限りのアルバイト。
解放されたらあとは私の自由時間だ。
仕事前に目を付けていたものを片っ端から撮りまくるのだ!

ええと、まずは近くの路地裏へ。
一面に蔦のからんだ家があったな、そういえば神社も。
あの石段で熟睡してた三毛猫はまだいるだろうか?


機械的に、大量の靴を片づけては出し片づけては出ししながら
頭の中は撮り歩きの計画でいっぱいだ。

仕事が終わるまで、あと一時間。
ああそうだ、やっぱり先に蔵の中を見せてもらえるかどうか確認しなくちゃ!

仕事が終わるまで、あと・・・










仕事が終わるより、目が覚めるほうが早かった。
わくわくした気持ちだけが宙に浮いたまま、夢はただの夢として終わった。

あくせく働くだけ働いたのに、お楽しみはお預け!
すっかり損した気分で最悪の目覚めを迎えることとなった。



“ 良い夢なんて、見ないに限る ”・・・



つまり、そういう話である。
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by cheshire335 | 2005-07-11 15:03 | 蟹の呟き