蝸牛



e0018424_11511537.jpg



“ 梅雨 ” といえば、必ずと言っていいほど 紫陽花とセット で描かれるカタツムリだが、
都会のカタツムリはブロック塀に張り付いている。
なんと、ブロック塀を齧って足りないカルシウムを補っているというのだからいじらしい。


カタツムリには、ちょっとした思い入れがある。
いや、正確には “ 罪悪感 ” だろうか・・・


昔々、黄色い帽子を被った小学一年生のとき。

雨の季節だった。
学校帰りだった。
雨は止んでいたが道はしっとり濡れていて、あちこちに水たまりができていた。

通学路の途中に、生け垣で囲われた小さな空き地があった。
朝からの雨が上がった、そんな日には、生け垣にたくさんのカタツムリが姿を現した。

「 今日はたくさんいるかもね 」
近所に住む同級生の友達とふたり、カタツムリを楽しみに帰り道を急いだ。

目当ての空き地の前は、舗装された道路。
その辺りで制服姿の中学生が2、3人、何やら騒いでいるのが見えた。
ただならぬ様子に、そろそろと歩を進めると・・・

彼らは楽しそうに、道に “ 何か ” を投げつけていた。
“ それ ” が硬いアスファルトの上で潰れ、砕け散るのを笑って見ていた。

道の上には、十数匹の、瀕死のカタツムリ・・・

私たちは、ただじっと、それを見ていた、動きもせずに。
「 なんだよ、文句あんのかよ!」
中学生にすごまれても、止めることも逃げることもできなかった。

私たちの様子に白けたらしい中学生たちは、足早にその場を立ち去った。
カタツムリは道の上でぐったりと、だけどまだ弱々しく動いていた。
このままでは誰かに踏まれてしまう・・・私たちはカタツムリを、生け垣の下へと運んだ。

まだ息があるものを埋めてしまうのは忍びなく、私たちはそのままそこを後にした。
そして私は二度と、その空き地に近寄らなかった。


それから数年後、私が小学校在学中にその空き地には家が建ち、生け垣は姿を消した。
周辺の様子も変わってしまい、今ではあの空き地がどのあたりだったのかも思い出せない。

それだけ時が経っても、いまだにカタツムリにだけは 「 優しくしなくては!」 と思う。
あの時、助けられなかった 罪滅ぼし をしなくてはならない、と思う。
からからに乾いて、今にも誰かに踏まれそうな場所に転がっていたなら、
拾い上げて紫陽花の葉に・・・いやいや、ブロック塀に乗せてやらなくては、と思う。




人生を通してひとつぐらい、惜しげもなく偽善者になってみたっていいだろう?
[PR]
by cheshire335 | 2005-07-08 11:53 | 蟹の呟き
<< 休息 視線 3 >>